先日他人の不幸は蜜の味、みたいなオチを付けた記事を書いてしまったけど。反省している、というのも友人の不幸を知らず、、ほんと、いかんわ。
昔、新入社員だった頃、課長だった人が「俺は出世する」と公言している人だった。大体エンジニアは出世欲がなく、自分の好きなことをできてればいい、というタイプが多かったので、変わった人だと思っていた。
宴席でその課長が理由を教えてくれた。「俺が偉くなれば、お前らをかばってやれる」「俺に力がなければ、お前らを他の部、課、からの圧力からも守ってやれなくない」「俺が出世すれば、俺の家族も幸せになる」という理屈だった。だれもやりたがらなかったであろう、若い回路設計オタクの集団、をまとめていた課長だった。パソコンいじって回路設計してれば幸せ、と思っていた僕(ら?)にはショックだった。そうか、偉くなるというのは、自分のエゴだけが理由ではないのかと、なんでえらくなりたいの?っていう答の一部を見つけたような気がした。家族の幸せのため、というのは、後にボディーブローのように効いてきた。
今の会社に就職し、同僚達というか、みんな残業しない。回答期限が差し迫っても。あ、帰る時間だから、と帰ってしまう。はじめ、なんて無責任というか、プロ意識がひくい、いい加減な、と感じたのも事実だ。だけど、よく考えると。定時に帰って家族とすごす、というのは一番の幸せだと思うようになった。それを求めて何がわるいのだろうと。その人が例え残業して答を出したとして、それは、会社の利益、ひいてはもちろん自分の給与につながるのだろうが、それが定常化するのは、いい循環なのだろうか?
自分の幸せを求めるということは、わがままで自分勝手な意見とも思われる。でも、その幸せは、決して自分のためだけでなく、家族のためであったり。また自分が幸せになるということが、自分の幸せを願っている人(両親や知人など全ての人)にとっての幸せだということも忘れてはいけないと思う。本当のところ人の不幸などうれしくもなんともなく、皆幸せになるのが一番いいことだと思う。
幸せになるために、誰がが不幸にならなければならないという理由は無い。幸せはお金や資源のように限りあるものを奪いあうゼロサムゲームではない。みんなが幸せになれるのだ。
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なんか、今回のやまさんのブログ読んでて色々思うことがありました。人それぞれ「幸せ」の形って違うんですよね。。
人と同じようにしてるから「幸せ」やとは限らない。。
うん、そう思います(^^)私も、私なりの「幸せ」の形を見つけたいと思います!!